新宿に集う若者たちの、親が若者だった頃。
1960年頃の新宿は、靖国通りの真ん中を都電が走り、
「副都心」の高層ビル街は、満々と水をたたえる「淀橋浄水場」で、
「アルタ」が「二幸」というデパートで――。
わずか半世紀足らずで、この町は激変した。
人が、街を変えてきた。
そもそも新宿は、古くから人が集まる街。
「内藤新宿」と名乗った五街道の宿場として、
やがて、交通の要衝のターミナル駅として。
震災後は、西へ広がる東京の新しい繁華街・盛り場として、
戦後の混乱期には、巨大なブラックマーケットとして。
新宿は、ダイナミックに変化を遂げ続けてきた街。
常にその中心にあったのは、
東口から真っ直ぐ伸びる「新宿大通り」だ。
昭和のはじめ頃からデパートや専門店が建ち並ぶ
“ファッションストリート”としての「昼の顔」。
その一方、カフェ、バー、遊郭、映画館、ムーランルージュを抱えた
「夜の顔」をあわせ持ち、遊興歓楽街へのプロローグとなった。
しかし、あらゆる矛盾や頽廃、猥雑性などの
対立項を否定し、排除してきたからこそ、街は発展の歴史をたどった。
「新宿大通り」を目指す人の流れは、今も昔も変わらない。
人が集うことで雑多な文化やファッションが生まれ、
競争や刺激が“新しさ”が生んだ。
“新しさ”を求める気風は差異を認め、
そこに利益や繁栄がもたらされる。
繁栄にともなう膨張や拡大のうねりは、摩擦を引き起こす。
街に課せられた摩擦から、競争による勝者が輩出され、
さらなる“新・新しさ”を生成する。
このダイナミックな発展形態のサイクルにより、
モンスターやマグマのごとく、街は独特のエネルギーをたくわえていく。
新宿は、まさにこの発展形態の実践モデルだ。
ちょうど、新宿の歴史における各時代の区切りが、
発展形態の“転換点”に合致するように。
常に、新しい何かが宿る街、新宿。
50年後、100年後も、新宿大通りは、
“新宿イズム”を発信し続けるだろう。
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