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昭和27年頃の新宿大通りの街並み。
左の大きな建物が三越
新宿大通商店街振興組合刊
『新宿大通り280年史』より(早川亭提供) |
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まずこの時期、新宿大通商店街に活を入れたのは、昭和24年の約一千点に及ぶ生活必需品の統制解除である。翌25年には、衣料品の中の木綿なども解除され、食糧も米穀以外のものについては、統制が解かれている。これで大っぴらに自由に実力の競争が行われるようになったわけで、この時期に経済的な実力をつけた商店が、多くは今日も盛業を続けている店だということは、興味深い。先に述べたように、新宿後背地に温存されている需要層の欲望を充分に満たすほどの商品を大通商店街が供給するには至っていない。
多くの商店が本来の扱い商品だけでは需要に応えた商品の量を確保できず、他の商品を手がけるケースがみられるのも、この時代の特徴である。例えば、時計の専門店でも、新品の入手が充分でないため、質流れ物を扱ったり、それでも不足気味なのを補うため、食堂を兼営していたり、洋品店をつくるケースなど、まことにめまぐるしい。よくいえばようやく解放された商売にたいする激しい意欲の現れともいえるし、新宿という街に特有の激しい変化に対応して生きていかなければならない"新宿商人"の宿命だったといえるかもしれない。
新宿大通商店の様子をみると、業種によっては商店の売れ足が早くて仕入れが応じきれず、店内はかえって寂しくなるといったありさまだったようである。全体的には衣料品、洋品、食堂などの業種が増え、10年以上もの長い間の抑制が一種の飢餓感としてこれらの業種に集中したことを示している。
新宿大通りの商店の中で、一時期、衣料品、洋品、食堂経営に手を染めたところは多く、これを契機に転業した店も少なくない。わが国の各種産業のメーカーが、赤字を解消して黒字基調に転じる時期、つまり需要に応えた生産体制が行き届く時期が昭和28〜9年である。一次需要から二次需要へ製品を高級化することによって新たな需要を喚起する方向に向かい、新宿の商店街も高級化もしくは本業の専門家へ向かう。
新宿大通りの商店街の内容についても、伊勢丹に一部残されていた米軍接収施設が解除(昭和28年)されて全店開業が可能となり、尾津組との土地をめぐる紛争に巻き込まれた商店も一部を除いて復帰している。いずれにしろ、昭和三十年代に入ってからの新宿は、世界でも例をみないほど、都市生活者の中間層を一定地域に集中させた後背地をもつ繁華街として、本格的な発展段階に入る。
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昭和28年に行われた新宿まつりの仮装パレード(1)
新宿大通商店街振興組合刊
『新宿大通り280年史』より(新宿梅田提供) |
昭和28年に行われた新宿まつりの仮装パレード(2)
新宿大通商店街振興組合刊
『新宿大通り280年史』より(新宿梅田提供) |
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商店会の各店が、それぞれ趣向をこらして
パレードに参加。見物人もぎっしりだった(1)
新宿大通商店街振興組合刊
『新宿大通り280年史』より(新宿梅田提供) |
商店会の各店が、それぞれ趣向をこらして
パレードに参加。見物人もぎっしりだった(2)
新宿大通商店街振興組合刊
『新宿大通り280年史』より(新宿梅田提供) |
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