新宿大通り
ENGLISH 한국어 繁体中文 簡体中文 JAPANESE

新宿大通商店街振興組合

 
ホーム
 
ライブカメラ
 
新宿大通りショップ検索
 
新宿大通りの歴史
序章
第一章 江戸時代
第二章 明治・大正
第三章 戦前・昭和10年前後
第四章 戦時中〜昭和三十年代
第五章 〜現代
新宿盛り場地図
 
理事長のごあいさつ
ショップ情報ページ参加会員
駐車場マップ
リンク
 
新宿大通りの歴史

第三章 戦前・昭和10年前後 爆発する新宿のエネルギー

[1] 関東大震災をきっかけに「面」の時代へ
[2] [コラム] サラリーマンと文化住宅
[3] 商圏が荻窪、吉祥寺まで伸びる
[4] 四デパート進出で大商業センターに
[5] 地価の高騰で商店街にも変化が……
[6] 商店会活動の胎動とその重要性
[7] 中間層と若年層にもてた「夜の顔」
[8] [コラム] キネマの楽しみ/無声映画と武蔵野館
[9] [コラム] トーキー映画時代の到来
[10] [コラム] ムーラン・ルージュ新宿座
[11] [コラム] 昭和初期新宿うまいもの食べある記(1)
[12] [コラム] 昭和初期新宿うまいもの食べある記(2)


[6] 商店会活動の胎動とその重要性

BackNext
新宿絵ハガキになった新宿大通り

「華麗なる新宿通り」という解説つきで絵ハガキになった新宿大通り(昭和初期)。新宿大通商店街振興組合刊『新宿大通り280年史』より(水野清氏蔵)

伊勢丹屋上から新宿2丁目方面を望む
伊勢丹屋上から新宿2丁目方面を望む。
右手の森は新宿御苑(昭和7年)
新宿大通商店街振興組合刊
『新宿大通り280年史』より(新宿区資料室)

 ともかくも、こういった形で落ち着いてきた新宿大通街の状況は、満州事変(昭和6年)から支那事変(昭和12年)にいたる、わが国全体の経済回復につれて、デパートと地元商店との対立関係も、次第に解消していったようである。ただ、新宿駅を基点として三越、京王本社につながる地下街案(昭和6年)や、新宿大通りから京王、ムーラン・ルージュ、新宿駅といった回廊式の地下道案(昭和8年)などが計画されたが、地元商店街の反対に合い、実現しなかった。

 それにしても、大震災以来急激に環境が変化していくことに対して、新宿大通商店街は、さまざまな意味で街全体で考えなければならず、ようやく商店会の役割が重要視されるようになった。

 ただ、残念ながら第二次世界大戦前の商店組合の具体的な活動については何ら記録するものがなく、「新宿大通商店街振興組合」の前身となる商店会の歴史を記録にとどめることはできない。新宿大通りにあった商店会は、新宿駅前から三越あたりまでの商栄会、新三会(新宿三丁目)、新二会(新宿二丁目)とあったわけだが、新宿高野の社史によると、高野吉太郎氏は家業のかたわら、近隣の店の問題について相談を受け、世話をすることも多かったとある。このような人物を中心にして、商業的にも活発化してくる気運に乗って、商店会が結成されたと考えられるだろう。

 いずれにしても、こういった戦前の商店会には、ある程度親睦会的な要素が強く、日常的に情報を交換することと、一朝事あるときに地域のコンセンサスをつくる上で役立てられたはずである。例えば昭和6年頃の雑誌の記述に、「新宿のエネルギーのものすごさ、デカダンな遊興性の強さもさることながら、街景の中の街灯ひとつをとってみても、地域ごとにさまざまなスタイルがあって混乱をきわめている」とある。この文面から判断すると、街灯のスタイルは、各商店会ごとの違いだと推定される。逆に考えると、そういった形で商店会の活動が現れていたともいえる。

 とくに、百貨店に対する対策、地下街計画に対する反応など、利害の一致した部分については商店会レベルでの合意があったものと思われる。戦後、都電が二丁目から歌舞伎町に路線を敷き変え、新宿大通の路線跡にグリーンベルトができたとき、この維持管理のための基金を伊勢丹が拠出して、実質的に今日の新宿大通商店街新興組合のスタートとなった。

 それは、小菅丹治伊勢丹二代社長の意向が、「新宿の発展あっての伊勢丹だ」という考えによるものだが、昭和26、7年の商店会は、まだ主体的で有効な働きをしておらず、積極的にこれに参加するきっかけをつくったことは、やはり地元商店会との協同性を未来に託すことがいかに重要かを考えていたからだと思われる。裏を返せば、新宿大通りの各商店会が単なる親睦会や町内の管理組織といったものにとどまっていなかったことを物語っている。

新宿大通りを走る車(昭和8年) 昭和初期の大通りを描いた絵
新宿大通りを走る車(昭和8年)
新宿大通商店街振興組合刊
『新宿大通り280年史』より
(三宅克己著『籠の中』より)

昭和初期の大通りを描いた絵
新宿大通商店街振興組合刊
『新宿大通り280年史』より(新盛堂蔵)

 

 


BackNext

[1] 関東大震災をきっかけに「面」の時代へ
[2] [コラム] サラリーマンと文化住宅
[3] 商圏が荻窪、吉祥寺まで伸びる
[4] 四デパート進出で大商業センターに
[5] 地価の高騰で商店街にも変化が……
[6] 商店会活動の胎動とその重要性
[7] 中間層と若年層にもてた「夜の顔」
[8] [コラム] キネマの楽しみ/無声映画と武蔵野館
[9] [コラム] トーキー映画時代の到来
[10] [コラム] ムーラン・ルージュ新宿座
[11] [コラム] 昭和初期新宿うまいもの食べある記(1)
[12] [コラム] 昭和初期新宿うまいもの食べある記(2)

序章第一章 江戸時代第二章 明治・大正第三章 戦前・昭和10年前後第四章 戦時中〜昭和三十年代第五章 〜現代
新宿盛り場地図

   
COPYRIGHT©2005 SHINJUKU OHDOORI SYOUTENGAI SHINKOU KUMIAI ALL RIGHTS RESERVED.