トーキー映画時代の到来
東京随一の映画館となった武蔵野館は、昭和3年(1928年)にこれまで建っていた新宿通りの角地を地主の三越に譲って新築移転し、さらに大きくモダンな映画の殿堂となりました。この頃から新宿駅周辺には大きなデパートや、新歌舞伎座や新宿松竹館、新宿劇場などの劇場・映画館が次々と建てられました。
やがて映画の技術も進み、無声映画からトーキー映画の時代へと変わっていきます。昭和6年に武蔵野館で封切られた『モロッコ』で初めてスーパーインポーズ版(日本語字幕)が登場します。一方、日本映画で初めて本格的トーキー映画として成功したのは同じ6年の『マダムと女房』(松竹)で、新宿では松竹館が封切っています。
こうしたトーキー時代の到来は、これまで無声映画につきものだった楽士や弁士を不要にするもので、その解雇に反対した争議も起こりました。武蔵野館の説明部も昭和8年3月には廃止され、人気弁士徳川夢声は浅草常盤座に「笑いの王国」を旗揚げし、丸山章次は映画監督に、牧野周一は漫談家に、大蔵貢は映画会社を起しました。
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新歌舞伎座
新宿歴史博物館提供 |
帝都座
新宿歴史博物館提供 |
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